Monday, December 13, 2010

書のこととか第62回正筆展を見に行ってきたこととか

10月の終わりから11月の始めに大都会岡山で「国民文化祭」というお祭りがあった。
わたしも「書」の部に作品を提出。

書の師匠はBarで知り合った飲み友達。
彼女と仲良くなって「書道やっとるんよ」というお話聞いても
最初は「ふーんそうなんだ、すごいな」ぐらいにしか思っていなかった。

あるとき「英雄」という中国映画を観た。
剣の達人が秦の始皇帝を暗殺しに行くという映画。
この映画の中で剣の達人が言ってた言葉。

「書の道は剣に通ず」

雨あられと降り注ぐ矢吹雪の中で、
肉体を貫かれようが隣で倒れていく人が居ようが全くかまわず
ひたすら「書」を書き続ける人々。

「"書の道は剣に通ず"って中国の剣の達人が言ってたから、
ちょっとわたしに書道を教えてくださいな」

という冗談のような感じで始まったお稽古。

2007年の頭から「書」を習い始めて丸4年。
この春くらいまではそれほど本気でやっているわけではなかった。
なんとなくの「習い事」感覚。

師匠が「作品を仕上げるときは2日でも3日でも徹夜して書き続けることがある」
と言ってたことがあるが、それを聞いても「すごいなー師匠は」とぐらいにしか思っていなかった。
ただ、彼女が真剣に書に向かっている姿は非常に美しかった。
そんな姿を眺めながらも今までのわたしにはどこか遠い世界の出来事だった。

5月の終わり頃、いろんな事で苦しんで漂っていた時期のわたしに対して師匠が

「ねぇ、ちょっと本気で書に取り組んでみたら?
 何かに打ち込んだら気分が晴れることもあるよ。
 ほら、ちょうど国民文化祭もあることだし。やってみない?」

生まれて初めて「書」というものに対して文字通り「一所懸命」「必死に」向き合った。
何かに対してこんなに打ち込んだのは本当に久しぶり。
作品を仕上げた8月頃にわたしはすっかり元気になっていた。

師匠から「家に国民文化祭の通知が届いていると思うから、おうちの方に内容見てもらって」
という連絡をいただき、ドキドキしながらチチウエに通知を読んでもらった。
結果は「佳作」
すべての努力というものが報われる世界ではないにもかかわらず。
うれしかった。
本当に、うれしかった。

彼女の言葉が無ければ、未だに書に対して真剣に取り組むことも無かっただろう。
し、彼女の言葉があって、そしてさまざまなサポートをいただき、
わたしの「佳作」を一番に自分のことのように喜んでくれた。
賞としては大きなものではないかもしれないけど、
自分の努力が認められた、という事実はとてつもない喜び。


何度書いても何度書いても思うように書けない、

「一つの作品を仕上げるまでの苦しみ」
みたいな感覚も初めて知った。
やっと「書道」という道の入り口に立った気分。




前置きが長くなったけど、「第62回正筆展」を見に行ってきた。
正筆会はかな書道の会。
その会員たちの展覧会。晴れ舞台。
さまざまな年齢層の人々が書の道を歩んでいる。
こんなに書道人口が多いなんて、始めるまでは全く知らなかった。


自分も書を習っているにもかかわらず、
今までは書の作品って何がいいのかよくわかっていなかった。
たくさんいろいろな人の作品を見るようになってやっと最近、
「ああ、この人の字好きだな」
「こんな風な字を書きたいな」
とか思えるようになってきた。

未だに何書いてるかすぐにはわからなくても、
目の前にすると、何故だかわからないけどひきつけられる作品っていうものがある。
きっと絵や彫刻やお写真なんかと同じなんだろうな、と思う。

■師匠が日展(日本美術展覧会)に初入選した作品(と同じ作品)



日展は書の道を志す者が目指す最大の山なのだそうだ。
すごいな。
すごいな。
うれしいな。
滅多な事では泣かない彼女が悔し涙を流していたのを知っている。
それでも必死に書き続けていることを知っている。


うれしいな。
うれしいな。
見に来れて良かった。

■今回見た中で一番わたしの中で輝いていた作品



















細かい理由だとかはわからないんだけど、この作品は本当にすばらしいと思った。
何度もこの作品の前に足を運んだ。
とっても引き付けられた。

書っておもしろい。
わたしももっとたくさん書こうって思った。

■おまけ。国民文化祭で佳作入賞したわたしの作品

No comments:

Post a Comment